技術者が取れない責任を追及するな


本日も相互フォローさせていただいてる方のつぶやきから端を発した、思ったこと綴りです。


実際の話の流れは置いておいて、私が反応したのは「責任を追及」と言う言葉。「責任」も「追及」も重い言葉だ。どちらも文脈次第でポジティブにもネガティブにもなる。今回はネガティブなオーラをまとった「責任を追及」について考えてみた。


そもそも「追及」されるような「責任」はどこにあるのか?技術者にあるの?開発チーム?プロジェクトマネージャー?製品の品質や、納期などで、顧客の要望するものと納めたものに乖離があった際に失敗を責められていることを「責任の追及」としているのであれば、追及している方もされている方も不幸だ。


そもそも、対象者が取れない責任は負えないし、負ってない。「一億円の損害が出た!」とか「納期が4日遅れた!」とか、技術者が責任の取りようもない。


ちょっと、背景が不足しているのでいくつか「責任を追及」について前提を加えてみる。まず今回は追及されているのが弱者とする。弱者とは立場的な意味で「PMにとってのPG」「上司にとっての部下」「元請けにとっての下請け」などである。次に追及されている責任、というより責任の取らされ方が刹那的である。以上2点を前提に続きをすすめる。


一介のPGが「一億円の損失が出たから、どう責任をとるつもりだ!」なんて言われてもねぇ。責任なんか取りようもない。そもそも雇用契約書にこんな責任を取らされる条項があって押印するだろうか。取れない責任は初めから背負ってないのだ。「約束の納期を4日も遅延して、どう責任を取るんだ!」って、神じゃないんだから時間は巻き戻らない。


広義での責任の取り方にはいろいろあるだろう。様々な契約で損害に対する補償と言う形で責任の取り方が決まっている場合もあるだろう。それ以外の場合で「責任」と言う言葉が、軽々しく弱者を痛めつけるために使われるのはおかしい。


ちょっと興奮してきたが、、、強者は弱者の立場に立って考え、取りようのある範囲を超えて「責任を追及」しては絶対いけない。「責任」と言う言葉は軽々しくないのだ。


さて、ここで視点を変えて「責任の追及」がする側でも、される側でも意味を取り違えて「問題の究明」だった場合を考えてみたい。


人間失敗はする。失敗した原因を究明し、同じ過ちを繰り返さないために振り返ることは重要である。振り返った結果、同じ過ちを簡単にしないであるとか、失敗を教訓にできれば、即効性のある結果を出せなくても良いと思う。


例えば一発勝負の請負で納期遅延したとしよう。その取引先とは2度と取引しないかもしれない。それでも「問題を究明」し教訓として生かせればそれでよいと思う。その取引先と契約したのは会社なんだから、目先の責任は会社が取ればそれでよい。失敗から学んでくれれば、会社から見た社員は十分責任を果たしている。※長く取引をしようと思っている下請けと元請に置き換えても良いと思う。


「問題の究明」と「責任の追及」実は同じことをしようとしていても、「責任」と言う言葉と、「追及」というアプローチ(手順)が本質を見失わせてしまう。折角経験できた失敗をより大きな糧にできるかは、失敗で何を学ぶかだ。責任感の強い人で、失敗したことで自分なりにどう責任を取ろうか悩み、明らかに激へこみする。そんな時には、問題の究明をさせることすら憚られるが、強者は一緒に問題を究明すべきである。なぜ、強者が一緒に問題を究明すべきかは、強者は弱者より大きな責任を背負っているからである。


また、強者は責任を追及している時、一度深呼吸して「自分が取れと言っている責任は相手が取れるのか」、「失敗に学ぶための究明なのに、高圧的な態度で相手を追い詰めていないか」、最後に「自分に責任はないのか」をよく考えてみて欲しい。もちろん私も。。。(汗


最後に、自分流の問題究明のためのTIPSを。
要因と結果を分析するのに特性要因図(フィッシュボーンチャート)などを使うことがあるが、私はオレオレ「ロジックツリー」をお勧めする。


ロジックツリーとは下図のような論理の展開を図示したものである。オレオレロジックツリーの場合、下図では3階層だが、原因の原因がある限り何層になっても構わないのでツリーを大きくする。初めに書くときはマインドマップのように、とにかく枝と葉をたくさん書く。「それを言っちゃ、お終いだよ!」ってこともである。ある程度書き出され、出尽くした感が湧いて来たら、枝に注視する。注視する点は向きと正当性だ。特に正当性は本当に原因や裏付けになっているかを吟味する。



枝の向きをどのように決めるかもオレオレなので自由だ。ひたすら原因の原因を導き出すのならすべての枝が同じ方向を指すだろう。ただ、慣れてきたら演繹で導き出すだけでなく、帰納で葉を書き直すこともして見て欲しい。演繹、帰納だと分かりづらい場合は、葉と葉の関係が「AゆえにB」は成り立つが「BゆえにA」が成り立っているかに着目しながら葉を作る(※演繹なので両立する必要はない)。あわせて、複数の葉から類似する傾向を導き出して上位の葉を作る。この2つの作り方を意識するだけで、ずいぶん精度の高いツリーができるはずだ。


各ポジションにおいて出来うる限りのことをしてした失敗は責めてはいけない。努力をしないでした失敗は多少責めても良いかも知れないが、せめて結果ではなく努力しなかったことを責めたい。許されるならお金を払ってでもしたい失敗をお金をもらって経験できたのなら、しっかり振り返って糧にする。それが技術者の取れる唯一の責任だと思う。


強者が取るべき責任については、いずれ書いてみたいと思う。